注意)いつもブログを書く際は、できるだけ読む人が不快にならないよう、言葉を選んだり、表現に気を付けたり、情報についてもできるだけ正確に書くように気を付けているのですが、
この記事に関しては、自分の心のために書きますので、しょうもないクレーム等は一切受け付けておりませんので、あらかじめご了承下さい。私が思うままに書きますので、それでも構わないという人だけ、是非ご覧ください。
2023年、12月5日(火)のお昼の12時。
いつも通り、会社の食堂の列に並びながら、スマホでTwitter(”X”って呼ぶわけねぇだろ、バカヤロ~)を眺めていると、The Birthdayの公式アカウントが「チバユウスケに関しての大切なご報告」と、画像を載せて呟いていた。「大切な…?」とは一瞬思いましたが、「あ、ついに復帰か!」と思った矢先、まさかのご報告でした…。
正直、「嘘やろ!?!?」の気持ちが半分と、4月に食道がんで療養のアナウンスがあった時から、こうなってしまう可能性もあるんちゃうかな…?と思ってた気持ち半分と。そんな心配がずっとあったから、Twitterでも事あるごとに、「チバさん無事に帰ってきて!」と何度か呟いてみたり。
実は、自分も2年程前に「精巣がん」になってしまい、抗がん剤治療で2ヶ月程度、入退院を繰り返していました。私は今30歳ですが、当時は28歳で、若年男性が「精巣がん」になる確率は10万人に1人ぐらいレアな確率だそうです。しかもそこから”転移”する確率は2割程度にも関わらず、私の場合は”転移”も発生してしまい、確率で言うと「0.0002%」(計算ミスってたら、すみません)の貧乏くじを引いてしまいました。が、最近の抗がん剤治療はとても進んでいるらしく、もちろん髪の毛は全部抜けて、吐き気もわりとありましたが、”抗がん剤治療”と言われて一般的にイメージされるような、壮絶に苦しい闘病生活という感じではなく、今現在、私は何の問題もなく健康に暮らせております。
ほんの少し前に、私自身がそんな経験をしていたので、年齢の違いによる差は大きいとは思いますが、あのチバユウスケなら現代医療の進歩もあり、少し時間がかかってもそのうち無事に復帰されると思っていたんですけどね…。
このお知らせを観た直後はそんなに実感が湧かなかったのですが、「あ、もうThe Birthdayのライブを観ることはできないのか…」と考えると、ジワジワと実感が湧いてきてしまい、その日はその事を考えると、気を抜くと泣いてしまいそうになりながら、仕事をしていました。
それは、このブログを書いている今もあんまり変わらなくて、ミッシェルやバースデイを聴いていると、ふと泣きそうになるスイッチが入ってしまったりします。
今年2023年は多くのミュージシャンがお亡くなりになり過ぎていて、Twitter上でも「今年は何かおかしい」と言う声が多く見られました。私も同じくそう思っていたものの、幸い、私が敬愛する方々はご無事に過ごされていたのに、この年末にまさかチバさんがいってしまうとは…。
遡れば、私がミッシェルを知ったきっかけは、高2ぐらい?の時に、友達と関西圏大手?の某リサイクルショップに、ギターを見に来てる時に、そのギター売り場でアナログテレビに爆音でラストヘブンツアーファイナル幕張の映像が流されていました。今思い返しても、店内BGMもそこそこ大きい音量のお店なので、それはもう信じられないくらいの爆音で流れていました(笑)
そこでその友達が、「このバンド何やろ?」となり、ポップかなんかに読めない長い横文字が手書きで書いてあり、「あ、これネットでよく見かける、読めへんバンド名のロックバンドや。」と答えました。当時、ミスチルとコブクロとBOOWYしか聴いていなかった私は当時、英語表記の「ミッシェルガンエレファント」が読めませんでした。
その後、その友達がラストヘブン幕張のDVDを購入し、その友達の家で一緒に見たり、借りてきて自分の家で観たり。ミッシェルの第一印象は、「バンドの音がうるさ過ぎる!(笑)。けど、ボーカルの人の声はなんか、初めて聴いた気がしないくらい、しっくりきたというか、懐かしい感じがする」と思ったのを今でも覚えています。それが私とミッシェルとの出会いでした。
後から気付きましたが、あの頃リサイクルショップで爆音でラストヘブンが流れていたのは、アベさんが亡くなったタイミングで、追悼の意が込められて、流されていたようでした。
というわけで、私がミッシェルを知った時点で、アベさんはすでに亡くなられていたので、今回のこの喪失感を、私は今初めて感じています。
これまでも色々なミュージシャンの訃報はありましたが、ここまで大好きな人の訃報は初めてで、正直どうしたらいいのかわかりません。まぁ、別に何もできないのも分かってはおりますが。
その後、一時期、狂ったようにミッシェルジャンキーとなり、これまたその友達が購入した貴重な「THEE LIVE」で、各アルバムツアーのライブ映像を観まくってミッシェルの歴史を追体験したり、弾けそうな曲からギターで実際にアベさんパートをコピーしたりしていました。
「暴かれた世界」などの超がつくほどシンプルなコード進行や、「カルチャー」を筆頭にびっくりするほどシンプルなギターリフ。深い意味がありそうで多分そんなに意味は無い歌詞、でも大切なことだけはしっかりハッキリと歌ってくれる歌詞。そして爆音の楽器陣3人にも負けないチバさんの歌。
言葉にすると、とても野暮ったいですが、私の中のロックンロール像は間違いなく、ミッシェルガンエレファント、ひいてはチバさんから教えて頂きました。それは今でも変わらず、私の心のど真ん中にあります。そして多分それは、死ぬまで変わらない気がしています。
という、私みたいな人が多過ぎるくらいにたくさんいるんだと思います。その日のTwitter上は、みんながみんなチバさんの話をされていて、本当にみんなに愛されていたんだなぁと実感しました。それを見るのもちょっと辛かったけど、みんな同じような気持ちなんだなぁと救われた気もしました。
ちなみに、ミッシェルの存在を知った時点で、もう解散していましたし、アベさんも亡くなられていましたが、2013年に”LAST HEAVEN TOUR”の2003年9月25日京都磔磔公演のライブ映像がリリースされる記念ということで、ちょうど10年後の2013年9月25日に同じ京都の磔磔で、その映像作品を爆音で上映する”スクリーンライブ”という粋なイベントが開催されました。
もちろん、前述の友達と2人で京都磔磔まで出向き参戦してきましたが、ただの上映ライブとは思えないぐらい、お客さんの皆さんが”マジ”で、冒頭から4曲くらいは、アベが次の曲のイントロを弾く度に圧死するかと思いました…(笑) そんな疑似体験ではありますが、少しだけでもミッシェルのライブの迫力を感じることができて嬉しかったです。
その後、それまでミッシェルしか聴いていなかった大学生の私が、大阪難波のタワレコでレコメンドされていた、The Birthdayの新曲を見つけます。それが「くそったれの世界」でした。
The Birthdayの存在は認識していましたが、私にとってアベさんの不在はとても大きく、気にはなっていたもののなかなか手を出せず、聴けずにいた私でしたが、その時は、やはりどうしても気になってしまい、そこにあった試聴機で聴いた瞬間…、
もうイントロで即やられてしまいましたね。今思えば、そこで出会ってしまった曲が良かったような気がします。褒め言葉ですが、あの曲のイントロ、インパクトが強過ぎると思うので(笑)
その後、YouTubeで「LEMON」と出会い、「あれ?ミッシェルとは全然違うけど、The Birthdayもめちゃくちゃ格好良いぞ?」となり、アルバム「COME TOGETHER」からのめり込むこととなりました。
今思うと、あんなにセッション性が強いミッシェル時代の頃から、親しみやすいメロディで歌っていたチバさんが、バンドが変わり、どちらかと言うと歌モノ寄りのバンドになったように思うので、そりゃハマってしまいますよねって思います。やはり、私は”チバさんの歌”が大好きみたいです。
そして、ついにCOME TOGETHERツアーに友達2人(1人は高校の時に、私にミッシェルを教えてくれた例のヤツ)と3人で参戦し、人生初の生チバを拝むことができました。なんばハッチ公演に参加しましたが、なんだか開演直前に緊張?でお腹が痛くなってしまった覚えがあります。どんだけ、緊張してんねん!(笑)でも、私にとっては、それぐらいに”大きな存在”なんです。(この気持ち、チバファンの同志諸君には分かって頂けるような気がしています。)
ちなみに、その時の1曲目はまさかの「LOVE GOD HAND」で、フジケンの不穏なギターから始まって、すぐにバンドが追いかけてくる、あのイントロの感じをいまだに覚えています。もう10年ぐらい前のライブですが。
そこから、1人でもThe Birthdayのライブに通うようになり、毎ツアーの神戸公演とファイナル近くの大阪公演に参加するようになりました。
「COME TOGETHER」ツアー追加公演の大阪NHKホールで、3階左側席からの凄い急角度で見下ろしてしまった「さよなら最終兵器」
山口県で行われた夏フェス「WILD BUNCH FEST 2015」に行った際、土曜日だからという理由で唐突に演奏された「SATURDAY NIGHT KILLER KISS」(たしか2年連続で参戦したので、画像は2014年ですが…)
「BLOOD AND LOVE CIRCUS」ツアー、なんばHatch終演後の物販エリア付近に新保勇樹さんがいらっしゃって、思わず写真集を買って、サインしてもらったり、
「NOMAD」ツアーの神戸チキンジョージで、運よくフジケン寄りの前から2列目で観ることができ、文字通り、心から爪先まで丸見えだった「1977」
「NOMAD」ツアー追加公演のZepp Osaka Baysideにて、あんな大きなスピーカーが音割れするぐらいの爆音だった「DEVOLA」や「GHOST MONKEY」、同じバンドで同じ機材なのに、とても優しかった「木枯らし6号」や「月の上のイライザ」、もちろん他の定番曲も含めて、その日のライブがあまりにもカッコ良過ぎて、お金を下ろしに一旦コンビニまで走ってまた戻ってまで、”NOMADキューちゃんTシャツ”と、プレイヤーも持ってないくせに、”NOMADのレコード盤”も勢いで買ってしまった良い思い出。(当時のオレ、良くやった!)
「THE ANSWER」リリース時の”Quattro×Quattro”ツアーの梅田公演で、”24″繋がりで連続して演奏された「24時」「TWENTY FOUR」が最高過ぎて踊り狂ってしまったり、
私が中学生?の頃、人生で初めて入った貸しスタジオ兼ライブハウスであり、今も月一回の軽音サークルでお世話になっている、あの”姫路Beta”に、まさかのThe Birthdayが来てくれて、アンコールでチバさんがニッコニコでビール片手に観客の上に乗り、みんなに「くそったれの世界」を歌わせてた光景は一生忘れません。
この前の「サンバースト」ツアーを、私が結婚直後だったこともあり、別に何か言われたわけでもないのに、変に気を遣って自分で勝手に自粛してしまったため、最後に観たライブは、「VIVIAN KILLERS」ツアーの神戸チキンジョージ公演とZepp Osaka Bayside公演になるかと思います。
あのツアーも、ラストのラストに持ってきた「DISKO」の破壊力が凄まじ過ぎた覚えがありますね。
「サンバースト」ツアーは観れていませんが、入手しておいたアナログ盤と、神戸チキンジョージ公演の日に物販だけ寄り道して入手した「ヒマワリ/オルゴール」のアナログ盤。
神戸と大阪はほぼ毎回、ライブに通っていて本当に良かったな、楽しかったな。という気持ちと、
もうThe Birthdayのライブに行く事はできないんだなという気持ち。結局、生で聴きたかった「爪痕」と「BECAUSE」を聴くことは叶いませんでしたね…。
そんな私の個人的な思い出ばかりじゃなく、ライブでの定番となっていた、
毎回、フジケンのイントロ後、バンドが入るタイミングで会場の照明が全開になって、
真っ白になる光景に、何度観ても泣いてしまう「なぜか今日は」も、
チバさんのオシャレなイントロから始まって、「カモーン!」で歌わされた観客の
「オレさ今どこ…?」に、チバさんが叫んで応えてくれる「涙がこぼれそう」も、
チバさんのタイトルコールから、唐突に始まってラストの「GRACIAS!!AMIGOS!!」まで、
ノンストップで一気に駆け抜けてくれる「READY STEADY GO」も、
その日のライブの最後の最後に、演奏してくれるご褒美「ローリン」も、
もう二度と聴けないかと思うと、本当にもう残念でなりませんね…。
そんな”残念”という言葉なんかじゃ足りないくらい…。
この記事を書きながら、ランダム再生で「爪痕」が流れましたが、
今まさに本当にこの曲の気持ちで、“Thee Michelle Gun Elephant”を、”The Birthday”を、”チバユウスケ”を忘れられるわけが無いんですよ。本当に。この事実を受け止めないといけないことも、もちろん分かってはいますが、ちょっとけっこうな時間がかかってしまいそうです…。
(ROSSOも、シャロンも1000のタンバリンも星のメロディーも、もちろん大好きなのですが、後追いの私には情報が少なく、失礼な事を言わないように今回は割愛させて頂きました。)
こんなショッキングな出来事が起きても、朝のニュースにも取り上げられず、30歳となった今では友達にも滅多に会わず、家族の妻を除くと、毎日会うのは会社の人ですが、そこでも一切話題にも上がらず、何事も無いように毎日が過ぎていくのも、個人的にはけっこうショックだったんですが、
SNSでは、チバさんが亡くなってから、改めてチバがミッシェルがと言う人も同じくらい嫌いで。
いやいや、なんで今更ミッシェルの話ばっかりするねんとか、チバさんはお休みされるまでThe Birthdayであんだけアルバム作って、あんだけツアーやって、ライブやって、ずっと歌い続けてくれてたのに、その時は何も言うてなかったくせに。とか思ってしまう自分は嫌な性格してるなぁとかも思ってしまったり、このタイミングでこの記事を書くことも、そんな人と同じに見えてしまうかなぁ?と思ったけど、私はやっぱりどうしてもこのチバさんの訃報に、何もしないでいることはできなくて、こんな長文を書いています。もう本当にどうしたらいいかわかんないっす。
ダラダラと長くなってしまいましたが、最後に個人的に1番大きな思い出として、「COME TOGETHER」ツアーを一緒に観た2人の友達とは、大学の軽音サークルで一緒で、卒業間際のライブで、普段は歌を歌わない(歌えないと言った方が正しい…笑)オレがギタボを担当し、”The Birthday”のコピバン”The ReBirthday”を組んで、演奏しました。
このライブのために!、というもっともらしい理由を付けて長年の憧れだった“グレッチ”の”テネシーローズ”※をローン組んでまで購入し、かなりの気合いを入れてライブに臨みました。ライブ当日は、もちろんチバさんのようには歌えませんでしたが、当時の自分ができる範囲での精一杯を頑張ってやり切ったので、今では自分の中でもかなり大事な思い出になっています。
(※:チバさんがミッシェル後期から、ROSSO時代、The Birthday時代のNOMADくらいまで?ず~~~~~~~っと弾き続けていた、あの濃いワインレッド色のギターのことです。VIVIANの頃から、ご自身のシグネチャーモデルである真っ黒な”テネシーブラック”に持ち替えられていました。)
先輩3人?のワガママに付き合ってくれた、可愛い後輩のドラム君が手書きで書いたライブのセトリがこちら↓です。我ながら、5曲しか選べなかった割にはなかなか良い選曲だと思います。
というわけで、私にとって”チバユウスケ”は青春の大半を占めており、とてつもなく大きな存在でした。もう本当に感謝しても、感謝しきれないくらい、感謝しております。
ミッシェルをリアルタイムで体験することは叶いませんでしたが、”The Birthday”は途中からでもリアルタイムで追いかけることができ、何度も新譜アルバムとライブツアーをセットで体感できたこと、本物の”ロックンロールバンド”を生で体感できたことを、私はとても”誇り”に思います。
私にできることは、何かあるたびにこのブログでチバさんに関する記事を書くことと、自分のYouTubeチャンネルで、チバさんの楽曲を演奏したり、弾き語ってみたりして、語り継いでいくことは微力ながらできるかなと思います。私のブログやYouTubeチャンネルを通じて、一人でも多くの人に”チバユウスケ”の偉大さが少しでも伝われば幸いです。
チバさん、たくさんの”ロックンロール”を本当にありがとうございました。
どうか、安らかにお眠りください。
まんじろう
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